「父さんな、ミュージシャンやめてサラリーマンで食っていこうと思うんだ」
男がこう切り出した瞬間、リビングは凍りついた。
若く美しい妻も、可愛らしく優秀な息子と娘も、果てはペットである血統書付きの猫まで。
皆が等しく凍りついた。
どうしてこんなことになったのか。
それを説明するためにも、男の半生を振り返ってみたいと思う。
男はミュージシャンになるために生まれてきたような人間だった。
産声のリズムに産婦人科医と看護師が号泣し、
おもちゃの太鼓を叩くと両親がスタンディングオベーションし、
夜泣きをすれば「今のオペラは一体なんだったんだ」とご近所が大騒ぎになる。
そんな具合だったから、言葉を覚えるにつれ、彼の音楽家としての才能は加速的に開花していった。
リコーダーを吹くと、音楽教師とクラスメイトが涙を流してひれ伏し、
道ばたを鼻歌を唄うと、黄色い声援が飛び交い、
カラオケに行って得点でも測ろうものなら、機械が「1億点」を叩き出し、ブッ壊れた。
極めつけは高校の文化祭である。
友達の口車に乗せられてバンドを出してみたら、
全校生徒と教師が失神者も出るほど熱狂し、文化祭に招かれていたプロミュージシャンが土下座してきて、
たまたまその場にいたスカウトの目に入り、あっという間にプロデビューを果たしてしまった。